メニュー 閉じる

仏教の考え方『死と自己』について -仏教徒は死を恐れていないのか?-

心理学を学ぶにあたり、最近は仏教の教えに興味をもっています。

心理学的に仏教の教えは理にかなっているようで、そう考えるとブッダ様は何世紀も前から人の心理の境地を理解していらっしゃるというわけです。
こんなことを言うのは大変失礼なのでしょうけど、現代科学を追いかけていると、改めて先人たちの偉大さを実感しております。

本当に、頭が下がる思いです。

 

仏教を学ぶにあたり、どうやら「本当の自己は存在しない」という教えがあるそうです。

人間の心理は状況や環境によって逐一変化する性質があるようで、それに合わせてそのときの思考の働きがガラリと違っていきます。
なので「一貫した自己」というものを持つことが不可能なわけで、

たとえば、

「いろんな人に調子を合わせていると自分を偽っている気がして、どれが本当の自分なのかわからない…。」

と思ってしまう女の子がいますが、これは当然なことなので気にする必要がないのです。
むしろ、そのすべてが自分を形成していると思った方が健全です。

 

…で、初期の仏教では「自己が錯覚だと認識すれば全ての悩みが消える」という主張があります。
本当の自分が存在しないなら苦悩が生まれることがなく、さらには死の恐怖さえ感じないという結論を出してます。

その仏教の結論に対し、現代科学が介入しております。
それは「本当に仏教徒は死への恐怖を感じず超越しているのか?」という点です。

実際の仏教徒の思考に現代科学がメスをいれてくれていますので、ちょっと興味深いものですな!

 

 

仏教徒は本当に死をも恐れていないのか

 

2018年のアリゾナ大学の研究で、インドに亡命した敬虔なチベット僧たち数百名を対象に調査をおこないました。

主なポイントは、以下の3点です。

 

  1. 一貫した自己が継続していると実感しているかどうか
  2. 死に恐怖をもっているかどうか
  3. 他者のために自己を犠牲にすることに抵抗があるかどうか

 

結果ですが、もし仏教徒の教えに従うのなら自己は存在せず、これらの回答は“NO”となるハズです。
この調査と一般的なアメリカ人の回答と比較すると、以下のことがわかったそうです。

アメリカ人と比較して、チベット僧の方が…

 

  • 「自己は永遠では無い」という回答が多かった(=自己は一貫していないということ)
  • 死に恐怖をもっている!」と答える人が多かった
  • 自己を犠牲にしてまで他者のための行動はとらない」と答える人が多かった

 

この研究での結論ですが、仏教徒は『一般的なアメリカ人よりも死ぬことが怖い自己中心的である』ということです…。

自己犠牲を計る質問で「自分が飲むと半年だけ寿命が延びる薬があるとします。しかし、この薬を他の人にあげると、その人の寿命が5年延びます。あなたは、この薬を自分のものにしますか?」というものがあるのですが、一般的なアメリカ人は31.2%が「Yes」と回答したのに対し、チベット僧は72%も「Yes」と回答したそうな。

この結果について研究者たちは「自己が永遠に続かないと信じているために死を恐れているのではないのか?」と推察しています。

つまり「自分という存在が永遠ではないのなら、死んでしまったらそこで終わりだ!」という発想になるということ。
そう考えるのなら、自分の為の行動を選択するのは当然といえますね。一度きりの人生を他人に捧げるのは惜しいですからね。

とはいえ、これは質問による調査なので、アメリカ人がカッコつけているかもしれませんし、チベット僧が正直に回答しているかもしれません。あとは、自己について向き合っているせいで、ついつい自己について意識が強くなっているかもしれません。

まあ、死について考えると一生懸命になるので、死が怖いくらいの方がちょうど良いなのかな???

 

 

 

 

改めて、仏教の教えは人生の参考になります。

今後も人生に役立つ教えを投稿していきますので、どうぞ参考にしてくださいませ☆
先人たちの知恵は本当にためになりますんで、素直に従うのがいいでしょうな!

もちろん、なんでもかんでも鵜呑みはいかんのですが(笑)。

 

 

【参考文献】

[Death and the Self]

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です